綿雲のしるべ

思い浮かんだことを置いておく場所。読書感想ブログ

『遠い山なみの光』カズオ・イシグロ

あなたが誠実に努力なさったことを疑っているわけではないんです。そんなことは、ちょっとでも疑ったことなんかありません。ただ、その努力の方向が結果的に間違っていた。悪い方向へ行ってしまったんです。あなたにそれがお分かりになるはずはなかった。けれでも、それは事実だと思うんです。 

 

 敗戦によって、日本は国そのものが変えられたと言っても過言ではないほどの大きな転換期を迎えた。あらゆる価値観が覆され混乱した世の中で、家を失い、家族を失い、生活を失った人々は、それでも前に進もうとみな必死に努力していた。

 日本を去りイギリスに住むようになった悦子は、長女の景子の自殺に直面し、かつての友人佐知子との出来事を振り返る。戦前は裕福な暮らしをしていたらしい佐知子は現在の生活に耐えられないらしく、アメリカに連れて行ってくれるというアメリカ人のあてにならない約束を頼りにしていた。当時はまだ外国に行くなど考えもしていなかった悦子には、佐知子の態度が彼女の一人娘である万里子をおざなりにしている見え、非難するような節もあった。しかし外国にきて娘を失った今、悦子はその佐知子の生き方に自分を重ねている。何が正解かなど誰にもわからなかった。それでも現状を変えようと必死だった悦子の努力は立派だったと、もう一人の娘ニキは言う。自分の価値観に従って生きるために、自立して生きるために故国を捨て、愛していた家族を捨てることになった悦子の過去の清算はもの哀しい。

 戦争によって価値観が覆された世の中で、人と世界が、人と人とがかみ合わなくなってしまったような薄暗い不安感が作品全体を包んでいる。今を捨て、外国に行くという微かな希望にすがる佐知子と、当時はまだ今を肯定していた悦子。戦前は教育者であった悦子の舅である緒方と、当時の悦子の夫であり、新しい価値観とうまく折り合いをつけて生きている二郎。戦前の教育方法の過ちを主張する、二郎の旧友であり緒方の元教え子でもある教師の松田。彼らはお互いに心の底で否定し合いながらも衝突することはない。変わらないといけないことと変わることの大変さを理解しあっている彼らは、歪な距離感で接し合う。

 読者もまた、その歪な枠組みの中に組み込まれてしまっている。特に作中の大部分を占める過去の回想において、ほとんどの小説に見受けられるような登場人物の心理描写は皆無と言っていいほど削られており、彼らに読者が投影し入り込む隙はない。心理描写がないだけに登場人物同士の噛み合わない会話が一層歪なものに感じられる。それが顕著なのが主人公の悦子の過去である。私たちは悦子が外国へ住むことになったきっかけや、悦子の新しい夫は誰なのかを知ることはできない。二郎と結婚するにあたって何か重要な事件があったようなのだが、そうしたことを知ることができない。佐知子と悦子の会話においても時に会話が成り立っていないレベルでちぐはぐなのに加え、悦子の心理は意図的に隠されているようで、顔が歪められた人の肖像画を見ているようなそんな不安に駆られる。何を考えているのかはっきりとはわからないが、言葉の端から何となく推測はできるように表現されており、それだけに悦子が恐ろしくなることもある。物語の終盤、佐知子の家から飛び出した万里子と悦子の会話では、一見優しい言葉をかけているように思われながらも、どこか残酷で恐ろしい感情がそこに込められているようで鳥肌が立つような思いがした。単に私の思い過ごしかもしれないが、結局のところその真意を知ることはできない。読者はどこまでも傍観者なのである。

 

 悦子の新しい夫との間の娘ニキは、女性の自立という本作の一つのテーマを象徴する人物である。自分の人生を歩むために大きな決断をした母悦子のことをニキは尊敬しているようで、長女景子を失った喪失感に暮れる悦子を励ます。

「年齢なんてどうだっていいわ。問題は経験よ。百まで生きたってなんの経験もしない人だっているわ」

「子供とくだらない夫に縛られて、みじめな人生を送っている女が多すぎるわ。それでいて、勇気を出して何とかすることができない。そのまま一生を終わっちゃうのよ」

 今でこそ結婚しない生き方が認知され始めてはいるが、まだ家庭を持つことが当たり前だった本書発行当時の1982年にこの言葉を読んだ人々の衝撃はいかほどだろうか。たとえ失敗したとしても、自分の生きたいように生きるために努力することの尊さを訴えたニキに勇気づけられた人は多いことだろう。悦子もまたニキの強い在り方に背中を押され、物語の最後には景子の影が残る今の家を売ることを考えるようになる。

「あなたのことを恥ずかしいと思ってるわけじゃないのよ。あなたは自分でいちばんいいと思う生き方をなさい」

 悦子がニキに語ったこの言葉は、悦子自身にも向けられたものなのかもしれない。

 

 

 同作家の本は以前に『日の名残り』を読んだきりで本作で2作目なのであるが、共通して感じられるのは薄暗さ、というよりは、そうした暗さの中にある微かな明るさといったところだろうか。大きな価値観の変遷に戸惑い、苦しみながらも、必死にもがいて探り当てた新しい生き方への小さな希望を頼りに自立していく、そんな明るさがある。人生には様々な後悔がつきものである。あの時できなかったこと、してはならなかったこと。こうした過去は心の奥底に嫌なしこりとして残り続ける。それは放置すればするほど根を張り、取り除くには大きな傷を伴うこともある。しかしそうしてできた傷もいつかは懐かしい思い出となるだろう。これでよかったのだと過去を清算し、懐かしい痛みに郷愁を覚える人生の円熟期。夜と夕方が混じり合う菫色の空。私がカズオ・イシグロに感じるのはこうした情景だ。

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