綿雲のしるべ

思い浮かんだことを置いておく場所。読書感想ブログ

『怒りの葡萄』スタインベック

ほんとうに生きている民は 、あたしたちなんだ。あいつらが、あたしたちを根絶やしにすることなんかできない。だって、あたしたちが民なんだから―生き続けるのは、あたしたちなんだから 

 5年後、10年後、世の中はどう変わって、その時私は何をしているんだろうか。おぼろげながらも何となく感じ取ってしまう未来図。将来への不安。やらなければいけないことはわかっている。しかし、それをやったところで、はたして意味はあるのだろうか。私が望む未来は、そこまでする価値のあるものなのだろうか。そうしていろんなことを諦めて、妥協して、手元に残った空虚な満足感を頼りに毎日を消化してく。

 先のことばかり考えて、やりきれなくなって、私たちは今目の前にあるものが見えなくなっているのかもしれない。

 

 1930年代、ダストボウルと呼ばれる大規模な砂嵐がアメリカ中西部を襲い、耕作地をめちゃくちゃに荒らしていった。耕作不可能となった所有地を追われ、大量の農民たちが流民となってカリフォルニアに殺到した。カリフォルニアの農場では、50人分の仕事に、200人の流民が詰め寄せた。一人当たりの賃金はどんどん下げられていき、家族総出で一日働いたとしても1ドルにしかならなかった。こんな給料じゃ働けないと去っていく者がいる一方で、飢えた人々は次々と仕事を求めてやってくる。家族を食べさせるために、彼らには選択肢はなかった。毎日をやっとの思いで食いつなぎながらも、栄養失調で倒れていくものが後を絶たなかった。農場主たちは、日に日に数を増す流民たちが徒党を組んで暴動を起こすのを恐れ、武器を買い、警備員を大勢雇った。恐慌の煽りを受て物価が下がり、収穫しても利益が取れなくなった作物は、熟れたまま放置され、鳥に啄まれ、腐り落ちた。飢えた子らにパンを与えられるお金は彼らを迫害するために用いられ、彼らの空腹を満たすことのできる十分な量があったはずの果物が配られることなく地に落ちた。オーキーと蔑まれた流民たちは、野営地にキャンプをつくり静かに暮らしていたが、度々保安官がやってきては難癖をつけて流民たちを引っ張っていき、キャンプ地を焼き討ちした。保安官たちには、流民を逮捕すれば報酬が与えられることになっていた。

 明日生きていけるかどうかすらわからない不安の中でも、人々はたくましかった。彼らは家族のために助け合い、その日一日を必死に生きていた。

先のことなんかわかりゃしないー山ほどのことがあるんだ。どんな暮らしになるか、わかりゃしないけど、いざとなったら、ひとつの暮らししかないんだよ。先のことをありったけ考えてやってったら、やりきれなくなるのさ。 

 悩んでいる暇があるくらいなら、今できることをやるんだと叱られたような気持になった。