綿雲のしるべ

思い浮かんだことを置いておく場所。読書感想ブログ

『金閣寺』三島由紀夫

金閣は無力じゃない。決して無力じゃない。しかし、凡ての無力の根源なんだ」

  自分を変えるということは難しい。一度形成された性格はもはや変えることはできない。変えられるとしたら意識だけだ。人は知識や経験を重ね、理性を働かせ、場面に応じた適切な行動、言動を意識的に選択することによって、態度や立ち振る舞いを変えることはできる。しかし、本質的な部分は変わることがない。

 そのため、周囲の環境にどうしても馴染めないような時は、環境を変化させることが望ましく、手っ取り早い。いくら環境に自分を合わせようと努力したとしても、自分の本質的な部分がその環境を拒んでいたとしたら、やがて内的な自分と外的な自分の距離が開いていくことに精神が耐えられなくなってしまうだろう。

 

 ではもし自分という存在が、この世界全てから拒絶されたとしたら一体どうなるだろうか。どこにも逃げ場所などない、存在することの許されない世界で、人はどうやって生きていけばいいのだろうか。『金閣寺』の主人公の<私>は、そうした苦悩を抱え、生を呪い続けた先で、金閣を焼いた。

 

 <私>は孤独な少年だった。家庭環境や交友関係、戦争、そして何より吃音症というハンディキャップが、彼の心をより暗く染め上げていった。

人に理解されないということが唯一の誇りになっていたから、ものごとを理解させようとする表現の衝動に見舞われなかった。人の目に見えるようなものは、自分には宿命的に与えられないのだと思った。孤独はどんどん肥った、まるで豚のように。 

私の少年期は薄命の色に混濁していた。真暗な影の世界は恐ろしかったが、白昼のようなくっきりとした生も、私のものではなかった。 

 <私>は決して救われてはならない存在であった。彼が救われる時、それは彼が世界に理解され、受け入れられたということであった。人に理解されないということが<私>の存在そのものにまでなったころには、<私>はどこまでも救われない存在としてどこか破滅的な運命を望むようになっていった。

 

 やがて<私>は父の縁により金閣寺に預けられることになった。そこで生活を始め、修行をしながら大学へと進んだ先で柏木という人物に出会う。柏木とは、<私>とおなじようにハンディキャップを負っていながらもそれを恥とせず、時陽光の中に影として堂々と存在しているような人物であった。<私>はその人生観や彼の内包する暗黒に強く惹かれ、お互いに近いものを感じる二人は行動を共にすることが増えていった。

 

 <私>が金閣を焼こうとしていることに真っ先に気が付いたのも柏木であった。「なにか破滅的なことを企んでいる」と悟った柏木は、<私>と議論を交わす。

俺は君に知らせたかったんだ。この世界を変貌させるのは認識だと。いいかね、他のものは何一つ世界を変えないのだ。認識だけが、世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ。認識の目から見れば、世界は永久に不変であり、そうして永久に変貌するんだ。それが何の役に立つのかと君は言うだろう。だがこの世界を耐えるために、人間は認識の武器を持ったのだと云おう。 

 この一文は私にゲーテのウェルテルを思い起こさせた。ウェルテルは報われない恋を呪い、その運命を呪った。相容れない世界に耐えるために彼がとった方法、それは、自分が望めば好きな時に、自ら命を絶つことができるという認識をもって安心感を得ることであった。私たちを取り囲む世界は、絶対的な存在である一方、私にとっての世界は私が認識する限りにおいてのみ存在する相対的なものである。私がいなくなった後の世界とは存在しないも同然とも言うことができる。世界から拒まれている私が、その実世界を支配している。世界そのものを不変のままに変貌させる。残酷な救いの道に私は共感を覚えた。世界との和解を拒み、暗黒を生きる彼らにはもはや他に方法はないのだ。

 

 本当に読んでいて気分の悪くなるような小説だった。救いなどどこにもないどころか、決行前夜のまさに最後の最後で最も残酷な形で現れる。しかし不思議な魅力が私をとらえて離さず、読み終わってからすぐにまた初めから読み返した。それほどまでに没頭した『金閣寺』だが、その全てを語ろうとするとそれができなかった。あらすじを書いているだけでも『金閣寺』の持つ圧倒的なエネルギーとも呼ぶべきものが失われていくのに気が付いた。本書の魅力は、青年の壮絶な生への苦悩と、呪いにも似た言葉の一つ一つにある。一文一文が重いのだ。幼少期の出来事、金閣寺での生活、鶴川と柏木といった友人の存在、老師との関係、美への執着、金閣を焼いた理由。話すべきことは山ほどあるが、これらを要約してしまえばしまうほど『金閣寺』を冒涜しているような感覚に襲われた。何度も書き直して、結局そのほとんどを書かないことに決めた。

 

 言い訳がましくなってしまったが、それだけすごい作品ということだけでも伝わってくれたらと思う。世の中に居づらさを感じ、言葉にできないような暗い感情を抱えている人は一度読んでみるといいかもしれない。その心を理解して、言葉にできない感情を代弁してくれる文章がここにはあるはず。

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