綿雲のしるべ

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『三四郎』夏目漱石

人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がしてみたいものだ。 

第九章 より 

 

 前期三部作とも呼ばれる夏目漱石初期の作品群の第一作目。『こころ』をはじめ、夏目漱石の作品は後に行けば行くほど人の心の葛藤や孤独を描く難解なものになっていく。そうした工期の作品と比較すると、デビューしたての頃書かれた本作『三四郎』は活字に慣れていない人にとっても読みやすい。物語としてはオーソドックスな学生の青春物語である。進学のために熊本から上京してきた三四郎は、期待外れの学校生活や都会の賑やかさに馴染めずにいた。そんな時に出会った学生の佐々木与次郎に引きずられるような形で様々な経験をしていくことになる。

 三四郎の東京での暮らしは3つの世界に大きく分けられる。一つは悪友(?)与次郎との俗物の世界。もう一つは穴倉のような研究室で光の研究をしている野々村や、大人で思慮深いが、本人には出世欲がまるでない広田先生との文芸の世界。最後に、偶然の出会いから始まった美女美禰子との恋愛の世界。中心となるのは美禰子との話なのだが、私はそれよりも与次郎という人物に興味を持った。

 本書の登場人物のはほとんどみな受動的で、流されるまま安穏と暮らしている。主人公の三四郎はその中でも輪をかけて奥手だ。会ったばかりの女に「あなたはよっぽど度胸の無い方ですね」と言われたり、せっかく美禰子といい感じになれたのに、妙なプライドが働いて、話を合わせることもお世辞の一つも言えない有様で、背中を思いっきりひっぱたいてやりたくなる。そんな中で唯一主体的に働いて、忙しなくあちこち駆け回っているのが与次郎である。

 与次郎はいわゆるお調子者で、広田先生曰く「田の中を流れる浅くて狭い小川」タイプの人物だ。誰かの世話を焼くのが好きなのだが、相手の都合もなにも考えないため、結果的に相手の迷惑になってしまうこともしばしばである。広田先生と祭りに縁日へ行ったときには、急に思い出したかのように松の盆栽を一鉢買いなさいと言いだし、答える間もなく勝手に値切って買ってしまった。そしていざ買ったはいいものの、夏になってみんなが外出してしまう時に、松を部屋にいれたまま雨戸を全て閉めきって出て行ってしまったせいで、せっかくの松が蒸れてダメにしてしまうなど、その考えの浅さに広田先生も呆れ気味である。

 一方で相手に大きな迷惑をかけてしまったことについてはきちんと自分で責任を取るという誠実な一面もある。もっとも、同じようなことを何度も繰り返しているあたり、真に反省しなくてはならないことが何かを本人はわかってなさそうではあるが。ただ、あっけらかんとして潔い与次郎の性格はどこか憎めないことろがあり、何より自分から率先して世界を変えようと働いている与次郎の主体性に私は心惹かれた。

 広田先生が一介の教師として燻っていることに憤る与次郎は、広田先生の素晴らしさを世に広めるために、雑誌に論文を投稿したり、積極的に文化人と交流し、会談の場を主催したりなど、身を粉にして働く。この試みは広田先生へ相談なしに与次郎が勝手に始めたために、後々やっぱり迷惑をかける羽目になってお叱りを受けるのだが・・・

 たとえそれでも、自ら努力して望む変化を成し遂げようとする与次郎の姿勢を批判できる人間は、果たして今の世の中にいるだろうか。やり方は間違っているかもしれないが、与次郎はこうした方がいいと信じたことは何でも、時には周囲の人間も巻き込んで実行してしまう。 一方で、本を閉じて辺りを見渡せば、自分では何もする気がないくせに文句だけは一人前な怠け者ばかり。どこかの誰かが自分に都合のいいように何かを変えてくれることをただ待っているだけで、それが叶わないと知れば適当な相手を見つけて集団となって攻撃を加える。なんの生産性もないどころか、前に進もうと努力する人たちの足を引っ張るばかり。できることなら彼らとは一生関わり合いになりたくない。こうした世間にとにかく辟易していた私にとって、与次郎の主体性は痛快だった。

 与次郎の話ばかりになってしまったけれども、他にも読みどころはたくさんある。前半でも述べたように、物語的にはむしろ美禰子との関係性がメインであり、こちらもこちらで、そういうつもりがなくても勝手に男を惚れさせてしまうような美禰子の才能ともいえる何かなど読んでいて面白い。読みやすい作品なので、夏目漱石入門にいいかもしれない。