綿雲のしるべ

思い浮かんだことを置いておく場所。読書感想ブログ

『人間の土地』サン=テグジュペリ

愛するということは、おたがいに顔を見合うことではなくて、一緒に同じ方向を見ることだ 

8章 人間 

 小さいころから人付き合いは得意な方だった。友人は多かったし、新しい環境に移ったとしてもすぐにまた新しい友人ができた。 それなりに充実していたし、それなりに幸福だった。

 一方で私は人間関係に淡白だった。学年が変わると新しいノートを用意するように、環境が変わるたびに私は私を白紙に戻した。あんなにまで仲が良かった友人たち、ともに助け合い、競い合い、笑い合い、かけがえのないはずであった日々が輝きを失い、私の世界から薄れ、消えていくことに何の抵抗もなかった。一歩一歩大人になるたびに、昨日までの友人と砂浜で一緒に築いたお城が新たに打ち寄せる波に崩され、記憶の彼方に流されゆくのを、振り返りもせずにまかせていた。

 大人になった今、私は他人の人生にかかわる仕事をしている。見ず知らずの人の人生に上がり込み、信用を得て、数百万数千万のお金を受け取る。そんな仕事を続けているうちに、私のことを必要としてくれる人も増えた。私を中心に大小様々な歯車が回っている。その数が増えるたびに歯車は重く、軋んでいった。私に寄せられる信頼、責任の重さに私は耐えられなくなった。私は彼ら全員の人生と自分の人生を結び付けられるほどには誠実になり切れず、かといって彼らを騙し欺けるほどには詐欺師になりきることもできなかった。

 思えば私は昔から、責任を負うことを恐れていたのかもしれない。私はいつだってこの手で抱えきれるほどの世界しか持とうとしなかった。違う道を歩み始めた友人の人生を巻き込んで生きていく力が私にはなかった。赤の他人の人生に自分を結び付ける勇気がなかった。責任の重さを学ぶと同時に私は私の世界を閉じていった。私の世界は軽くなった。しかし軽くなると同時に、私の世界は不安定になっていった。

 

 

 人はみな、成功しなさいと教えられる。いい大学に入って、いい会社に就いて、いい家庭を持って―成功こそが人生の意味であり、立派な人間になるための指針であるかのように。私もまたそれを信じていた。たくさん努力していい大学に入った。成功のレールに乗ればいつかは違った景色が見えてくると思い込んでいた。だが、いつまで経っても世界は変わらず、空しいままだった。当然だろう、レールがあったとしても、そのレールを支える大地がそこにはないのだから。

 生き方を学ぶ機会はたくさんある一方で、生きることを諦める人が後を絶たない。どう生きるかという教えは必ずしも人を明るみへと導かない。なぜ生きるのか、その答えの中にこそ人生の意味がある。

 

 

 サン=テグジュペリサハラ砂漠の西の海岸にある空港でバークという男に出会った。彼はもともとマラケシュという街で暮らしていたのだが、ある日騙されてつかまり、以来長年この地で奴隷として主人に仕えていた。マラケシュに帰ることを望み続けた彼は、サン=テグジュペリらの協力のおかげでついに奴隷の身分から解放され、故郷に帰還する。新しい生活を始めるに十分な資金も与えられた。彼の人生が始まるはずであった。ところが彼は手持ちの資金を全て街の子どもたちのプレゼントに使い果たしてしまった。喜びのあまり気でも狂ったのか。いや、そうではない。彼はただ、自分の重さを感じたかったのだ。

 彼は自由だった。しかしその自由が彼にはほろ苦かった。その自由は彼に教えた。彼という存在がいかに世界と無関係であるかを。街のレストランのボーイも、踊り子も、彼に親切にしてくれた。だがそれは仕事としての立場がそうさせるのであって、誰一人として彼という人間を必要としてくれるものはいなかった。そんな時、偶然出会ったひ弱そうな子供がバークを変えた。バークは広場に集まった全員の子どもに上等な靴を履かせてやった。子どもたちの神様となった彼には、おびただしいまでの希望の重量が覆いかぶさっていた。

 

 必要とし、必要とされること。他人と自分を結びつけ、ある重量を持った存在となること。その重さこそが人間を世界に結び付ける。サン=テグジュペリの同僚ギヨメが真冬のアンデス山脈に墜落した時、彼は飢えと戦い、極寒と戦い、心臓を鼓舞し続け、絶望の淵から生還を果たした。水も食料もほとんど空の状態でサハラ砂漠の真ん中に不時着したサン=テグジュペリもまた、生きることを諦めなかった。極限状態の彼らを支えたのは責任だった。彼らを必要としている人々、彼らの帰りを待つ人々のために生きるという責任だった。

彼の偉大さは、自分に責任を感ずるところにある、自分に対する、郵便物に対する、待っている僚友たちに対する責任、彼はその手中に彼らの歓喜も、彼らの悲嘆も握っていた。

2章 僚友 

 

沈黙の一秒一秒が、僕の愛する人々を、少しずつ虐殺していく。激しい憤怒が、ぼくの中に動き出す、何だというので、沈みかけている人々を助けに、まにあううちに駆け付ける邪魔をする様々の鎖が、こうまであるのか?なぜぼくらの焚火が、ぼくらの叫びを、世界の果てまで伝えてくれないのか?我慢しろ・・・・・・ぼくらが駆け付けてやる!・・・・・・ぼくらのほうから駆け付けてやる!ぼくらこそは救援隊だ!

7章 砂漠のまん中で 

  わずかの希望も見出しえない砂漠のまん中に取り残されたサン=テグジュペリは、救助される側ではなく、自分の行方が分からず悲しむ人々を救助する側であった。これほど壮絶な絶叫を私は聞いたことがない。

 

 重さ、それはつまり責任だ。自分という存在が誰かにとって、世界にとって必要なこと。時に押しつぶされそうなほどの重さを背負い込みながらも、自分を結び付けた人と同じ方向を向いて歩き続けること。それこそが生きる意味だ。

人間であるということは、とりもなおさず責任を持つことだ。人間であるということは、自分には関係のないと思われるような出来事に対して忸怩たることだ。人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、世界の建設に加担していると感じることだ。

3章 僚友

 

 この年になると、同級生たちの結婚の噂をよく耳にする。うまくいっている人、別れてしまった人、いろいろだ。中には昔は荒れてたのに結婚したら真面目になった人もいる。きっとその人は見つけたのだろう。自分を必要とする世界と、自分自身の重さを。一方で結婚してもなかなかうまくいかない人もいる。きっとその人は気づいていない、いや、逃げているのかもしれない。自分にのしかかるその重さから。

 

 人生の豊かさは、物質的な豊かさでは賄いえない。人生の喜びと、人生の「成功」は必ずしも結び付きえない。

真の贅沢というものは、ただ一つしかない。それは人間関係の贅沢だ。

3章 僚友

 重さを手放してきた私はいつまで経っても満たされることはなかった。打ち寄せる波は、砂の城もろとも世界から私を削り取っていった。今の私に残されているのはわずかな繋がりだけしかない。けれど漸く私は満足することができた。そうだ、私は私を繋ぎとめる重さに気づくことができたのだから。

たとえ、どんなにそれが小さかろうと、ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる

8章 人間

 私は私の責任を果たそう。そして、居場所を求めてもがく人に手を伸ばそう。同じ方向を向いて、お互いの重さを感じながら。

 

 

精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる

8章 人間 

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