綿雲のしるべ

思い浮かんだことを置いておく場所。読書感想ブログ

『夜間飛行』サン=テグジュペリ

あの農夫たちは、自分たちのランプは、その貧しいテーブルを照らすだけだと思っている。だが、彼らから八十キロメートルも隔たった所で、人は早くもこの灯火の呼びかけを心に感受しているのである。あたかも彼らが無人島をめぐる海の前に立って、それを絶望的に振ってでもいるかのように。 

 

 いろいろな本を読んでいると、時に自分がその中に沈み込んで行くような錯覚に陥ることがある。海底に垂らした一本の綱を頼りに、暗い海の底へ潜っていくように、深く深く沈んでいく。言葉の一つ一つが色彩を帯びた大小の泡となり、脳裏に浮かんでは弾けていく。静かで濃密な時間。こういう本を読むときは、なるたけ落ち着いて集中できる場所でなくてはいけない。さもなくば、その目はモノクロの文字の羅列をただ滑っていくだけだろう。『夜間飛行』はそんな作品の一つだ。

 

 今では飛行機が当たり前のように空を飛んでいるが、その背後には数々の英雄的な冒険があり、犠牲と挑戦の上に築き上げられてきた人間の尊厳の歴史があった。

 20世紀初頭、人類は初めて空を飛んだ。その後数々の研究・実験が繰り返され、第一次大戦期において漸く実用化にまで至ったが、人類にとって、空は変わらず神秘の世界であった。ましてやそれが光のない、夜の中だとしたら。

 リヴィエールと彼と志を共にする操縦士や技術者たちはこの神秘に挑んだ。当時はまだ気象観測台等の整備も進んでおらず、無謀ともいえる挑戦に世間では反対の声が多く上がったが、リヴィエールは主張を押し通した。挑戦の過程にいかなる犠牲が伴うとも、その結果が個人の幸福を超えた所にある何かにつながると信じて。

 

 わずかの同意と多くの非難を受けながら、孤独な戦いを続けるリヴィエールは厳格な上司だった。怠慢や不祥事は、たとえその原因が不可抗力的なものであったとしても、みな一様に厳罰に処した。二十年間協力し続けてきてくれた職工をただの一度の過誤で免職し、一操縦士と親しい交際をしていた監督ロビノーを叱責し、ロビノーに自らその操縦士を罰する報告書を書かせた。

ロビノー。部下を愛したまえ。ただそれと彼らに知らさずに愛したまえ

 一見冷酷に見える彼も、内心は一際深い愛情を持った人だった。しかし彼の立場が、彼らの追い求めるものがそれを許さなかった。彼の良心は、人間の尊厳と個人の幸福の間で揺れ動き、彼を苦しめる。操縦士たちには、操縦士たちの家庭があり、生活があり、幸福がある。リヴィエールはそんな彼らを危険な―時には二度と帰ることはできない闇の中へ送りだしていく。自分のしていることは間違っているのではないか。

自分は何者の名において、彼らをその個人的な幸福から奪い取ってきたのか?根本の法則は、まさにその種の幸福を保護すべきではないのか?それなのに、自分はそれを破壊しているのだ。 

  しかしリヴィエールは決して行動を止めようとはしなかった。個人的な幸福を超えた、永続性のある救われるべきなにかが人生にあり、そのために働いていると信じたから。もしそうでないとしたら、彼の行動の説明はつかなくなってしまう。彼は人類の発展のために、そして何より自分の非道な行動の説明をつけるために、厳格であり続けた。そして技術者たちもそんな彼に付き従った。

 

 街中で見上げる街灯も、彼方の街並みに光る街灯も同じ光なのにも関わらず、私が後者により心惹かれるのは、そこに孤独の美しさを感じるからのように思う。遠い空の下で揺らめく幽かな光は、己が誰のために、何のためにあるのかもわからず、闇夜を彷徨う孤独な光だ。影に包まれた夜空、地上に光る星々は、その輝きがどこまで遠くを照らすのかをきっと知らないだろう。一方で、そうした夜の紺青に放り出された光に、己を苛む良心と戦い続けるリヴィエールは救いを求め、死が間近で恐ろしい口を開いて待ち構えている闇の中で操縦士は希望を求めた。

 

 人は誰しも心のどこかに孤独を抱えている。しかし、他の人が目もくれず通り過ぎてしまうような事柄に心を寄せることができる、自分だけはその素晴らしさに気づくことができる、そんな孤独を私は美しいと思う。たとえ誰からも理解を得られないとしても、私は私の信じたものを、それを信じた私自身を誇りに思い、歩み続けよう。いつの日か、私が残した光が、孤独な誰かの行く先を照らすしるべとなりますように。

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