綿雲のしるべ

思い浮かんだことを置いておく場所。読書感想ブログ

『ハツカネズミと人間』スタインベック

「わかってたはずなんだ」とジョージが絶望的に言う。「心の奥底では、たぶんわかってたんだ」 

  ちびのジョージとのっぽのレニー。レニーは人より知恵が遅れており、まるで子どもがそのまま大人になったような人物で、昔馴染みのジョージはそんなレニーの面倒を見ていた。二人は農場で働きながらお金を稼ぐが、いつもレニーがなにか問題を起こし、農場にいられなくなってしまう。そうしてカリフォルニアの農場を転々と渡り歩きながら、「いつか自分たちの土地を持って、土地のくれる一番いいものを食べて、ウサギを飼って暮らそう」そんな夢を語り合う二人の物語。

 途中まではとにかくレニーにイライラ、ハラハラさせられた。レ二―は言われたことをほとんど覚えられず、常識もない。動物が好きなのだが、力の加減を知らないせいで殺してしまう。それを何度も繰り返す。なんでこんな男の世話をジョージはしているんだろう。力だけはあって人の2倍は働けるから、大方利用しているだけだろう。そんな感想を持ちながら読み進めていたが、ジョージがスリムという同僚に話した二人の過去を聞いて考えが変わった。昔のジョージはレニーをからかって遊んでいた。何をしても悪意に気づかず、遊びだと思い込んでなんでも言うことを聞いてくれるレニーにいい気になっていた。ある時ジョージは川に飛び込めとレニーに命令する。レニーはためらうことなく川に飛び込んだが、泳げないレニーは溺れかけてしまう。ジョージは慌ててレニーを助けるが、そんなジョージに対してレニーは怒るそぶりもなく、助けてくれてありがとうとお礼を言った。それ以来、ジョージはレニーをからかうことをやめたのだった。

 レニーはただ力が強いだけの大きな子どもだった。どんな行動にも悪意はなかった。しかしある日とうとう取り返しのつかない事件を起こしてしまう。一人逃げ出すレニーと打ちひしがれるジョージ。ジョージこの時悟った。思い描き、語り合った夢は決して実現しないこと。レニーがいつかは恐ろしい事件を引き起こしてしまうこと。レニーといつまでも一緒にいるわけにはいかないこと。これらの事実を、今まで見て見ないふりをして誤魔化し続けてきたこと。

 他の人間に見つかれば、リンチされ、散々苦しめられて殺されてしまうだろう。誰よりも自分が先にレニーを見つけなくてはならない。「あの犬は自分で撃てばよかった。よそのやつに撃たせるんじゃなかった」ずっと一緒に生きてきた牧羊犬を、年老いて役に立たなくなったからと射殺された、キャンディの言葉が思い出される。万が一の時に落ち合う場所なら決めていた。ジョージはレニーのもとへ急ぐ。

 「前みたいに話してくれよ」いつものように夢を語り合う二人。しかしこの時にはもう状況はなにもかも変わってしまっていた。夢を語り、純粋に二人のこれからを思い描くレニーと、叶わぬ夢を語り、これまでの二人に思いを馳せるジョージ。作中で繰り返されてきた二人の夢の話がこの時複雑な響きをもって頭の中で反響する。「おまえがいなければ俺はもっと楽に生きていけるんだ」とジョージはよくレニーに向かって言っていた。本当に相手の存在を必要としていたのはジョージのほうだったのかもしれない。

 

 文庫サイズで150ページと短い作品だが、これ以上付け足す必要のないくらい完成されていたように思う。それくらい無駄のない完璧な世界だった。終わり方もなかなかにくい。この小説の最後は、「あの二人(ジョージとスリム)、いったい何をそんなに気にしているんだろうな」というセリフで終わる。レニーを追いかけていた人物たちに、ジョージがなぜうなだれ、意気消沈しているかを知る者はいない。ジョージと二人の理解者であるスリム、そして、この物語を読み進めてきた読者にしか知りえないことだ。この最後の一文の無神経さに読者は憤りを覚えることだろう。この時読者は既に物語の傍観者ではなく、レニーとジョージの二人を見守ってきた当事者として、彼らの間に立っているのである。一貫して外面的な描写と登場人物の会話中心の戯曲的な雰囲気の作品でありながら、最後の最後に読者を引き込んでくるこの一文の使い方に衝撃を受けた。

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