綿雲のしるべ

思い浮かんだことを置いておく場所。読書感想ブログ

『若きウェルテルの悩み』ゲーテ

ぼくはよく自分にこういう、「お前の運命は類がないものだ、ほかの人たちは幸福といっていい—お前ほどの苦しみを味わった物はいないのだ」。そんなとき、ぼくは古い詩人を読む。まるで自分の心の中をのぞくような気がする。ぼくはいろいろなことに堪えなければならん。ああ、ぼく以前でも、人間はこんなに哀れなものだったんだろうか。

—『若きウェルテルの悩み』ゲーテ より

多感な青年による厭世の詩

 どうしても世の中と折り合いがつかなくて、

 居場所を求めて魂は放浪する。

 ありふれた田舎の光景、その日一日を生きる人々。

 目の前の輝かしい生に胸を焦がしながら、そうした景色をどこか遠くのもののように眺めている。

 ウェルテルはそんな青年だった。

 苦しみあえぐ彼が差し伸べる手は、生よりもむしろ死に向けられていた。

 生きていたい。しかし、この世界の枠組みの中では、窮屈さに押しつぶされてしまうことだろう。彼を支えていたのは、自分が望めばいつでも好きな時に、その肉体を手放し、現世を去ることができるという、絶望的で甘美な自由であった。

 

手紙に綴られる、胸を抉るような苦悩

 同書はウェルテルから友人に宛てた一連の手紙という形で進行する。

 彼がようやく見つけた、己の全てをかけて愛することのできる人、ロッテ。しかしその人には尊敬すべき婚約者であるアルベルトがいた。始まりから既に絶望的な恋、彼はそれでもかまわなかった。ロッテのそばにいるだけで救われた。彼女もまた、ウェルテルを無二の親友として慕っていた。アルベルトはそんな二人の間柄を認め、ウェルテルを家族同然のように厚遇した。

 ある時、ウェルテルは二人から距離を置く決心をつけ、逃げ出してきたはずの都会へと戻る。紹介もあってそれなりの職に就くことができたが、夜会の席順だとか、社会的地位だとか、そういった話題しか頭にない人々にうんざりする毎日。上司との折り合いもつかず、結局また田舎へと飛び出してしまう。以前にも増して熱烈にロッテを追い求めるようになったウェルテルに危機感を覚えたロッテ・アルベルト夫妻は、次第に彼から距離を置くようになる。求めるほどに離れていく二人。以前から相談を受けていた己と似た境遇の男が、誰からの理解を得ることもなく社会の底へ葬り去られるのを見たとき、ウェルテルは己の決して救われることのない宿命に絶望し、自ら命を絶つ決断をする。

「きみは救われないのだ、不幸な男よ。ぼくにはよくわかっている、ぼくらはみな救われないのだ」

 

 ウェルテルの主観によって語られるこれらの物語は、彼の壮絶な苦悩を読者の目前に突き付けてくる。ウェルテルにとってロッテは自分の全てであった。しかし、その婚約者のアルベルトも、彼を最も理解してくれるかけがえのない友人の一人だった。彼のやりきれない思いは想像に難くない。ほんとうは生きていたかった。現世に縋りついていたかった。彼は次のように、そんな自分を冷笑する。

隠れた月が再び黒雲の間から出てくると、見渡す限りの洪水がぞっとするように月光を反射してごうごうと立ち騒いでいる。すると戦慄ともあこがれともつかぬものが襲ってくるのだ。ぼくは腕をひろげて深淵に向かい立ち、深いふかい息をした。そしてぼくの苦痛、ぼくの憂悶のいっさいを、かなたに荒れ狂うにまかせて波のようにとどろき行かせる歓喜を思って茫然自失した。ああ。それなのにお前は、その人足を地面から持ち上げられないのか、そうしていっさいの苦悩を絶つことができないでいるのか。

ぼくは立ちつづけた。—自分を責めようとは思わない。自分には死んでみせる勇気があるから。—いっそのこと—しかし今、ぼくはここに老婆のように座っているんだ、生きて甲斐のないいのちをせめて一時なりとのばして楽にしようと、よその家の生垣から薪を拾い集め、人の門口にたってパンを乞う老婆みたいに」

 

今苦しい人にこそ、読んでほしい

 ウェルテルのような身を亡ぼすほどに情熱的な愛を私はまだ知らないけれど、この本を読んでいるとき、まるで自分がそこに描かれているように感じた。他人事とは思えなかった。私もまた、本質としては似通ったやりきれなさを抱えていたから。きっと同じような思いを抱えている人は他にも大勢いると思う。そうありたいと描く自画像と現実との齟齬。組み込まれた枠組みの中でうまく馴染めず、自分の内部にある欲求と予感がうごめく心の牢獄へ身を投じる。そんなとき差し込んだ光—谷あいに立ち込める霧が、夜明けを告げる暖かな光によって空に溶けていく。露に濡れた葉は輝き、鳥たちが命を歌う—その光景を美しいと思えること。湧き上がる感情が、自分と世界を再び結びつける。再生の瞬間。

 「もし生涯に『ウェルテル』が自分のために書かれたと感じるような時期がないなら、その人は不幸だ」という言葉がある。ほんとうにその通りかもしれない。『ウェルテル』は自殺幇助の呪いの本ではなく、救いを願う人々のための祈りの本だ。著者のゲーテは巻頭にこんな言葉を書き記している。

ちょうどウェルテルと同じように胸に悶えを持つ優しい心の人がおられるならば、ウェルテルの悩みを顧みて自らを慰め、そうしてこの小さな書物を心の友とされるがよい、もし運命のめぐり合わせや、あるいは自分の落ち度から、親しい友を見つけられずにいるのなら 

 

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