綿雲のしるべ

思い浮かんだことを置いておく場所。読書感想ブログ

『門』夏目漱石

彼は門を通る人ではなかった。又門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。 

 『三四郎』『それから』に続く漱石前期三部作の最後に当たる作品。主人公は異なるが、『それから』の代助のそれからを描いた物語ともとれる。主人公の宗助は親友であった安井を裏切り、御米と結婚する。全てを敵に回した二人は世を離れ、二人だけの結びつきの中で静かに暮らしていく。二人にとって社会とは生活に必要最低限必要な物品を賄う場所でしかなかった。

 

 この物語では夫婦を脅かす何かが起こりそうでいて、何も起こらない。かつての親友安井と対面することになるかもしれない、そんな局面でさえ結局会うことにはならず、救いを求めて門を叩いた禅寺においても、宗助は何一つ得るもののないまま家に帰ることになる。

 大小さまざまな事件は物語を動かすことはないが、漠然とした不安を後に残していく。それはまさしく夫婦の運命を暗示しているかのようだ。夫婦の家のすぐ裏手には、補強が施されておらずいつ崩れてくるかわからない崖がある。二人の背後には常にこの崖のような漠然とした不安が聳え立ち、二人を脅かす。世を捨てた二人の質素な生活を反映するかのように、崖は秋になっても色づくことはない。そしてこの崖の上に住む家主の坂井は社交的で、たくさんの子に囲まれながら幸せそうな暮らしをしている。宗助とは対照的すぎる人物だが、なぜか彼らは気が合い、宗助が唯一外で交流を持つ人物となる。これはまさしく、坂井という人物が違う運命を歩んだ宗助に他ならないからであろう。

 親友を裏切った宗助夫婦は、どこかに救いを求めることもできない。彼らはいつ崩れてしまうかわからないか細い暮らしの中で、それでも二人寄り添って生きていく。夫婦愛といった俗っぽい表現では言い表せないほど、もはや彼ら二人でいることが一つの生命体であるかのように二人は強く結びつき合っている。罪を背負ってでも生きていくと決めた二人の深い繋がり。彩りのない不安な毎日で、二人一緒にいられる幸福を噛みしめ合う。そうしたくすんだような美しさがこの物語にはあった。

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